私は以前、シクラメンの鉢を育てたことがありましたが、いつも枯らしてしまって、上手く育てられませんでした。
今度こそは枯らさずに育てようと頑張ってみました。
うめがえ内科クリニックで務めさせて頂き、早15年になろうとしています。
この度、定年(60歳)という区切りを迎え、開院当初からの様々なことが思い出され
アッという間のようで、まさに『烏兎怱怱』の一言です。
記念として、素敵な花束やシャンパンのプレゼントを頂きました。
2週間以上たちますが、まだ咲いている花もありますし、
シャンパンは、休みが取れて帰省した息子と主人が楽しく飲んでいました。
感謝の念に堪えません。
そして、有給を頂けたので、還暦にあたり出雲大社にて厄払いをした後で県内の温泉に行ってきました。
その温泉で驚くような経験をしたのでお話します。
夕ご飯を食べお腹もいっぱい、温泉も入って眠りについた翌朝の5時。
『火事です火事です
落ち着いて避難してください』との館内放送に衝撃
私は浴衣派でなくマイパジャマ派なので、そのまますぐに部屋から脱出
他の宿泊者も必死の様子。しかしその後『機器の誤作動』との放送に安心と「えぇ~!」という気持ちが
現実でなく本当に良かったです。日ごろの危機管理の大事さを改めて感じました。
今後の人生も烏兎怱怱なのでしょうが、何が起こるのかわかりませんし、
1日1日を大事にしていかなければとの思いを抱いためったにない出来事でした。
看護師 T
2025年は昭和元年から丁度百年、昭和100年と呼ばれます。
この百年の間に、様々なものが変化してきました。
ハード面で言えば、一番は電気の普及でしょう。
百年前は、各家庭にようやく電灯がつくくらいの環境でしたが、昭和30年以降は「白物家電」(冷蔵庫、洗濯機、エアコン等々)が広がり、その後テレビも普及します。昭和60年以降は「デジタル家電」(パソコン、携帯電話、インターネット)へと移行しました。
これらによって、暮らしが様変わりしました。
夜明けと日の暮れに合わせて家族一緒に暮らしていた日常が、夜も活動できるようになったために労働時間が増え、深夜までテレビを見て起きている人も増えました。
また、長年女性の役割であった、洗濯や炊事などの効率が劇的に上がり、女性の社会進出も促しました。
そして、その暮らしの変化によって、人々の意識、考え方、などが大きく変わっていくことになります。
「男が外で働き、女は家を守る」のような考えが本当に当たり前だった時代から、「平等」「人権」「権利」「個性」等が問われるようになりました。
昨年、ヒットしたドラマ「不適切にもほどがある」では、1986年(昭和61年)と2024年(令和6年)の暮らしや意識の違いをうまく取り上げていました。時代の変遷によって、その時々の「当たり前」も、現代では「不適切」極まりない。
昭和生まれの私の子どもの頃は、先生に刃向かうと平手打ちされたし、お風呂は家長(死語)が一番風呂と決まっていて、全部、仕方ないことと思っていました。
逆に今は、「男のくせに女々しいことを」とか「結婚はしないの?」とか言おうものなら「○○ハラスメント」となってしまうから、言葉のチョイスにとても気を遣います。
昭和生まれの私はどちらの時代の事情も分かり、いろいろ考えさせられました。
事象だけで「不適切」のレッテルを貼るのではなく、時代背景、意識の変化など含めて、今、自分がどう生きたら良いのかしっかり考えなさいと、言われている気がしました。どちらにしても、相手を苦しめることは不適切ですね。
さて、次の百年はどう変わっていくのやら。
「令和100年」に生きている人が笑顔であって欲しいと切に願います
※ちなみに、上のイラストは、このブログの内容を元にAIが作成したオリジナル画像です。すごい世の中ですね
事務 UME
新年、明けましておめでとうございます。
今年も、何卒よろしくお願い申し上げます。
昨年は、元日の能登半島地震に始まり、水害や記録的猛暑など自然災害がとても多く、加えて、農作物の不作や鳥インフルエンザの蔓延、物価の上昇など、気持が暗く沈む出来事が多かったように思います。そのような状況ではありましたが、当院は、新たに山口拓也副院長を迎え、医師二人体制に移行することができました。これもひとえに、開院以来、当院が地域の皆様から信頼され、支持されてきたお陰と感謝しております。
さて、「ユズリハ」という木をご存じでしょうか。
常緑樹でありながら、若葉に座を譲るように、春に古い葉が落ちて新しい葉と入れ替わる。この生え替わりのとき、古い葉のほうは、まだ濃い緑色をしていながらも、浅緑色の新葉の下に控えて残っている。そして、若葉が伸びてから古い葉が落ちるため、譲り葉の名前があり、親が成長した子に後を譲るのにたとえられ、めでたい木として古くから正月飾りに使われているそうです。
当院は、2010年にうめがえ内科クリニックとして開院し、今年5月で15周年を迎えます。その時には、私も66歳になり、まだまだ若い気ではおりますが、心身の健康を損なうリスクは、今後、確実に大きくなります。当院がこれからも、この地域で持続的に医療を通じて社会貢献をしてくためには、円滑に世代交代をしていくことが必須です。
私は、院長、医療法人社団悠伸会理事長として、今年から、あせらず、無理せず、ユズリハのように次の世代にしっかりと事業継承をしていきたいと思います。
名付けて、「ユズリハ・プロジェクト」。
このプロジェクトのために、山口医師だけでなく、今後、入職してくる職員を含めて、当院のモットーである「すべては患者さんの笑顔のために」をどのような時でも実践できるように、職員教育と指導をさらに徹底していきたいと思っております。
本年こそ、明るく希望に満ちた笑顔があふれる年になることを心から祈願いたします。
2025年 元旦 院長 梅枝伸行